母校の小学校が、今年、120周年を迎えるそうだ。
その記念行事の一環で、卒業生として、子どもたちに俳句を教えてほしい、
という依頼を受けて、この日、900人の生徒たちと、俳句を作ってきた。
学校の誕生日のようなものだから、ということで、
学校生活のなかで「夏だなあ」と感じる瞬間を
いくつか書きだしてもらって、そこから、
これがいいと思うひとつを選んで、俳句にしてもらう。
学校への「挨拶句」だ。
プールで泳いでいるとき、息継ぎしたら友達の顔が見えたこと、
育てているヘチマにペットボトルで水をやること、
野球をしていたら遠くの車がゆらめいていたこと、
昼休みに鉄棒を触ったら熱くて手を離してしまったこと、
みんな、日々のひとこまを、よく覚えている。
わたしが小学校に通っていたころに、ちょうど、
学校が100周年を迎えた。
あれから20年経っていることになる。
今年、掘り起こされるタイムカプセルは、
在学中、100周年のときに埋めたものだ。
その中には、当時の子どもたちが将来の夢を書いた紙が
詰まっていて、わたしのものも入っているはず。
そのころ、将来の夢は「小説家」と書いた覚えがある。
本棚の前で、ねじりはちまきをして、夜に卓の灯をつけて、
汗をかきながら原稿用紙に向かっている、
そんなイラストも添えたと思う。
結局、小説のような長いものは書かなかったけれど、
ことばを書くということには、いまだに取りつかれている。
原稿用紙ではなく、パソコンに向かっているところが、
時代の変化だろうか。
大きくても、小さくても、夢を持つのは素晴らしいことだ。
明日が来るのが、楽しみだってことだからだ。
俳句もそう。毎日がおんなじ日のくりかえしに見えても、
帰り道に咲いていたむらさきの花がきれいだったり、
夕食で出たピーマンの肉詰めが美味しかったり、
世界は少しずつ、季節が移ろっている。
だから、ちょっと立ち止まってみると、
毎日が、かけがえのない一日いちにちになる。
そうするとやっぱり、明日が来るのが、また楽しみになる。
そんな風にして、毎日を楽しめるといい。
そんな話で締めくくった。
君たちに明日がある夏の空がある 紗